ブログ
2021年 5月 31日 答えのない学び 私の挫折体験談
私は大学2年生の時に、医学の研究を体験してみたいという好奇心から、大学院の研究室の門を叩き、約2年ほど基礎医学研究をさせてもらった経験があります。
私が所属したのは病理学講座でした。病理学とは、細胞や組織の色・形を見て病気を診断する学問です。観察しやすくするために鮮やかな染色で細胞を染めるので、顕微鏡を覗くと派手な異世界が広がっているのです。
素人目に見てもその光景が「綺麗だな、面白そうだな」と思えたので、この講座にしようと決めたのでした。
研究を始めるといっても自分一人で何もかもやるわけではありません。先生方に指導していただきながら、与えてもらったテーマを通して研究のイロハを学んでいきます。
私は幸運にも親切で非常に指導熱心な先生にお世話になることができました。
その先生は脳神経が専門で、私は先生の研究の一部分をやらせてもらうことになりました。
マウスの脳を使い精神疾患の原因となる遺伝子と脳領域を探す研究です。
研究を始めてしばらくしてから、ある壁にぶつかりました。
最初の数ヶ月は実験の方法やコツをとにかく覚える作業が続くのですが、それらを一通り覚えると、次は主体的・論理的に実験の方針を考える力が必要になってくるのです。
この「主体的・論理的に考える力」が自分でも情けなくなるほどに足りなかったのです。
研究は当然ながら、未知のものを解明する作業です。未知のものを探究するには、未知と既知のボーダーラインを把握しなければなりません。
これは教科書を読むだけでは足りず、最新の論文を自分で探して読む必要があります。誰かが読むべき論文を提示してくれることなどはありえず、自分で主体的に探し続けなければなりません。
まだわかっていないものを、いかにして解き明かそうかと考えるとき、その思考は極めて論理的でなくてなりません。仮説を立てて、実験し、結果を元に考察してまた仮説を立てる。一方、日常生活でいつも私たちが無意識にしている論理的思考のほとんどは、単純に物事と物事のつじつまを合わせる作業です。
そう考えると、研究で必要な論理的思考は、日常生活のそれとはだいぶ性質が違うように思えるのです。
これまで義務教育と受験勉強を通して、答えがあることが当たり前の生活をしてきた自分にとって、この「主体的・論理的に考える」作業が本当に苦痛でした。慣れないし、面倒くさいし、正解がわかっていない状況がとにかく嫌でした。
研究方法とそのコツを覚える、いや暗記する作業までは皮肉なほど順調だったのです。
答えのない学びに対して、自分の能力不足を痛感しました。
受験勉強でロボットのように暗記を繰り返し、答えのある問いを解く作業しか知ろうとしなかった結果です。これではAIの方が存在価値があるのではないかと悲しくさえなりました。大学に入るための受験勉強とはなんだったのか、反省せざるを得ません。
かといって当時受験生だった自分が、この事実に気づいて勉強のあり方を変えられたかといえばおそらく難しいでしょう。
一寸先は闇の受験生ですから、やはり目の前の問題を解くことに精一杯だと思います。
残念ながらセンター試験から共通テストに変わった今も尚、大学以降求められる思考力を養えるような問題はほとんどないと個人的には思います。
推論・考察・表現力を重視しているようですが、また少し違うような気がします。
近い将来、ぶつかるであろう壁に対し、受験生ができるささやかな準備は何か
もし当時の自分にアドバイスできるとしたら、夢・志を高めるイベントにたくさん出席しようと言いたいです。
例えばトップリーダーと学ぶワークショップは各界の最前線で活躍する人がお話をしてくれます。未知と既知のボーダーラインを垣間見る絶好の機会だと思いませんか?イベントの中ではワークショップがあります。高校生同士で答えのないテーマについてディスカッションする貴重な機会です。まさに主体的に考える練習となるでしょう。
グループ長会議はどうでしょうか。どうしたらグループミーティングのメンバーがみんなで一緒に頑張れるか、論理的に考えて行動に移すきっかけになります。
今みなさんが一生懸命書いている志作文は?
高校生の時に描く将来像は、不確実で抽象的です。基本的に若ければ若いほど今を生きるのに一所懸命ですから、仕方のないことです。
しかしあえて目線を遠くに置き、じっくりと自分の志に向き合う時間は必要です。その時間が主体的に考える時間そのものだからです。
受験生は試験が近づくにつれて次第に忙殺されていき、いろいろなものを削っていくことになります。しかし本当に大事なことは、目の前にある問題集を解くことだけではありません。先に挙げたようなことたちも、回り回って大学に入ってから自分を助けます。
是非それを忘れずに、積極的にイベントに参加してください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
担任助手5年 青島健人