「夜と霧」を読んで | 東進ハイスクール 吉祥寺校 大学受験の予備校・塾|東京都

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2022年 3月 18日 「夜と霧」を読んで

ロシアのウクライナ侵攻が先月からはじまり、未だに過激さを増して続いていることは、平和な日本に生きる自分にとって衝撃的な出来事です。戦後に確立されてきた国際秩序がこんなにも簡単に壊されて、この後一体世界はどうなってしまうのか、見通しの立たない不安を感じます。ロシアは「ウクライナのナチ化を阻止」するために戦っているそうですが、何を根拠に言っているのか全くわかりません。

先日は菅直人元首相が橋本徹氏のことをナチのヒトラー呼ばわりして炎上しましたが、ナチを引き合いに出してけんかをするのがはやっているのでしょうか。

 

ナチに関して最も有名なものの一つがおそらくアウシュビッツ強制収容所だと思います。

ヴィクトール・フランクルが書いた「夜と霧」という本をご存じでしょうか。アウシュビッツをはじめとしたナチ占領下の強制収容所で生き延びた精神科医の著者が、囚人目線で収容所内の出来事や囚人たちの様子をレポートしたものです。私は最近友人からこの本を薦められて読んだのですが、本当に一読に値する本です。

 

この世の地獄を生き伸びた人と、死んでしまった人では何が違うのか。

当然処刑される順番や劣悪な環境により病気になるなど、運や体力も重要になってくるのですが、クリスマスの直後に死人が急増したことに著者は気づきます。急増した理由は、多くの人がクリスマスまでには家に帰れるだろうと思い込んでいたにもかかわらず帰してもらえず、状況は悪化する一方で、生きる希望を失ったからです。病は気からというのは本当のようです。

 

そして著者は、自分の精神世界に逃げ込み、その中に生きる目的を見いだした人が生き延びたと述べます。身体の屈強さはあまり関係がなく、内的世界を如何に豊かにしていたかが重要だといいます。クリスマス後に亡くなった人は収容所の外にのみ生きる目的を見いだしていましたが、生き延びた人たちは収容所内での生活の中にすら生きる目的を見いだしていたのです。

 

少し長いですが著者の言葉(霜山徳爾訳)を引用します。

「(前略)強制収容所における人間を内的に緊張せしめようとするには、先ず未来のある目的にむかって緊張せしめることを前提とするのである。囚人に対するあらゆる心理的治療や精神衛生的努力が従うべき標語としては、おそらくニーチェの「何故生きるかを知っている者は、殆どあらゆる如何に生きるか、に耐えるのだ」という言葉が最も適切であろう。(中略)反対に何の生活目標をももはや眼前に見ず、なんの生活内容ももたず、その生活において目的も認めない人は哀れである。彼の存在意義は彼から消えてしまうのである。そして同時に頑張り通す何らの意義もなくなってしまうのである。」

 

何故生きるのか、何のために生きるのかを精神世界の中で探り続け、収容所の中にさえ生きる目的を見いだすことのできた人は、たとえ想像を絶するこの世の地獄の中でも生き延びることができるのです。

この本の中で起こることは凄惨な悲劇ばかりですが、読み終わった後は不思議な感動を覚えます。人間が持つ強さの核心と、その強さを獲得するに至る様子を描いているからです。

 

この本から学ぶことはたくさんあります。現在の私たちの生活を振り返ってみればどうでしょうか。大学に行くために受験するのか、受験するために大学に行くのか、人のための経済成長なのか、経済成長のための人なのか、少しでも気を抜くとすぐに目的を見失います。

ましてや何のために生きるのかなど、考える余裕もないですね。

 

しかしこのままでは、肉体的には死なずとも、精神が死に、自分の存在意義を殺してしまいます。頑張れることも頑張れなくなってしまいます。なんとなくこの世界に漂う生き辛い雰囲気も、原因のひとつにはこういったことがあるのではないでしょうか。

 

受験生も社会人もお年寄りもロシアの大統領も、日々何のために生きるのかということをお互いに考えたいですね。

 

アンパンマンのOP曲を思い出してください。我々は0歳のときからそれを問われ続けています。