Commencement | 東進ハイスクール 吉祥寺南口校 大学受験の予備校・塾|東京都

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2020年 4月 18日 Commencement

この場所と縁を持つようになってから、はや3年が経つ。

同級生の羽生が通っていると聞いて、初めてここを訪れた日から

生徒として2年。

担任助手として1年。

 

3年もいると、妙なところに愛着がわく。

ホームクラスの独特な匂い。

声の飛び交うスナックスペースの雑然とした感じ。

受付のカウンターの絶妙なカーブの具合。

 

モノだけじゃない。

生徒の時は恐くて仕方がなかった宗校舎長も

(面白くて、愛に溢れる方でした。本当にありがとうございました。)

もう今後、会うことがないかもしれないと思うと寂しい気持ちになる。

生徒時代、スナックスペースで(世界史の教科書を)語りあった山中と

帰り道を歩きながら、

互いの恋愛観について語りあったりすることももうないのだろうか笑

 

思えば、

この場所は僕にとって

大きなコミュニティの一つだった。

 

人は、生まれてから死ぬまでの間に、幾つものコミュニティを経験する。

 

赤ん坊として、この世に生を受けた瞬間から、

人は、家族、そして国家の一員として、コミュニティに属することになる。

その後も、歳を重ねるごとに

保育園、小学校、中学、高校、大学、

といった大きなコミュニティに属し、

その中で、クラス、部活動、委員会、

果ては仲良しグループといったような数人の小さなコミュニティまで、

様々な集団に属し、

そこで沢山の人々と出会い、

そしてその集団を去っていく。

 

僕も多くの人々と出会い、そしてその度ごとに別れを経験してきた。

 

最後の大会で負けた日の帰り道。

青春をかけた文化祭が終わった後の家路。

 

無性に寂しくて、

何か、やるせない気持ちと、喪失感とでたまらなくなる

そんな感情も何度か経験した。

 

別れを意識して、初めて、人は、

何もかもが一度きりである ということに気づくのだろうか。

 

辛い。

こんなに辛いことはもう人生においてないだろう 

と本気で思えてきたりもする。

 

でも、

 

別れるのが悲しくて仕方がなかった小学校の頃の親友も、

好きだったあの子も

今となっては日常生活の中で思いを馳せることなどなくなってしまった。

今を生きる自分にとっては遠い、遠い存在だ。

 

新しいコミュニティの中で、新しい人と出会い、

新しい居場所を見つけていくなかで、

過去はその影を薄めていく。

 

僕の人生において、間違いなく大きなコミュニティの一つであったこの場所も、

ここで出会った沢山の素晴らしい人たちも

いつかは遠い存在になっていくのだろう。

 

そして、そう思ってしまうこと自体がとても悲しくて寂しい。

だから、あと少しだけ、もう少しだけ、ここに留まっていたくなる。

 

僕はこの5月でここを卒業することになる。

 

卒業。

英語では卒業、または卒業式のことをcommencementと言う。

 

commenceは開始する・始めると言う意味を持つ動詞だが、

その名詞形のcommencementは卒業を意味する。

卒業を終わりではなく、新たな始まりと捉える。

なんだか、とても素敵な感じがする。

 

終わりは始まりであり、

しかし、始まりがあれば終わりもある。

人生はきっとその連続なんだろう。

 

ここで僕が経験した出来事は、

延々と続いていく、出会いと別れのサイクルの中の一部に過ぎない。

 

それでも、

僕にとって、大きく、そして大切な人生の一部であり続けることだけは

確かであるはずだ。

 

だから今回くらいは思い切り笑顔でいってみようと思うのだ。

皆さん、

また会う日まで、さようなら!!

                                                   國枝健

 

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